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1 初めての拓本(平成17年岩手県花巻温泉・吉井勇)
吉井勇の歌碑(岩手県花巻温泉)を題材にして師匠の手ほどきを受け、生まれて初めての拓本を体験した石碑。
↑歌碑の写真
↑師匠の拓本
【碑文・拓本の内容】
われもゆく
むかし芭蕉が野ざらしの
旅に出でたる秋風のみち
吉井 勇
【碑文・拓本の解説】
「芭蕉が野ざらしの旅」は松尾芭蕉の「奥の細道」の旅をさす。芭蕉は花巻の地は未踏であるが、ここでは広くみちのくを意味している。勇は昭和3年に来訪。花巻をはじめ、交友のあった啄木の故郷渋民村(しぶたみむら)、小岩井農場、盛岡を巡った。
吉井 勇
1886(明治19)〜1960(昭和35)
与謝野鉄幹(寛)主宰の「明星」に参加し、のち啄木らと「スバル」を創刊。耽美的な作風で知られ、京都祇園と旅の歌でひろく親しまれている。
2 自前の初拓本作品(平成17年・花巻温泉)
↑自前の初拓本作品
【碑文・拓本の内容】
直立に 南部赤松 遠郭公
林火
【碑文・拓本の解説】
南部赤松は岩手県産のアカマツ。この周辺の山にも多く生えており、特性は長大で真っすぐに伸びる。遠郭公は遠くで聞こえる郭公(カッコウ)の声。季語は郭公で夏。昭和51年6月来訪、敷地内やその周辺を巡り、この句を色紙に残した。
大野 林火
1904(明治37)〜1982(昭和57)神奈川生まれ 俳人
臼田亞浪に師事し「石楠(しゃくなげ)」で活躍。のちに「濱」創刊主宰。後進を育成しつつ、「俳句研究」「俳句」の編集にも従事し、俳壇に貢献した。
3 鴨墳の碑の拓本(平成17年岩手県宮古市大杉神社)
私の郷里・宮古の大杉神社(アンバ様)の境内にある。芭蕉の句を、盛岡の近世の俳人小野素郷が揮毛した。宮古市の重要文化財になっている。
↑鴨墳の碑 の案内板
↑鴨墳の碑
↑鴨墳の碑 の拓本
【碑文・拓本の内容】
海暮れて鴨の声ほのかに白し
翁(芭蕉)
【碑文・拓本の解説】
上記写真の案内板参照。
小野 素郷(おの そきょう)
1749〜1820年(72歳) 盛岡の富商家に生まれる。江戸中・後期の俳人。本名 小野永二。
松尾芭蕉の復興運動を先導。京都俳壇の中心的存在であった浄土宗僧侶・五升庵蝶夢に師事。帰郷後は、岩間乙二・常世田長翠・吉川五明と共に奥羽四天王の一人と称され、観世流謡曲も指導。松濤舎、望春亭という別号も持つ。
4 俳人・山口青邨(せいそん) 句碑の拓本(平成17年岩手県北上市展勝地)
↑山口青邨の句碑
↑山口青邨 句碑の拓本
【碑文・拓本の内容】
水引の 紅ニふれても 露けしや
青邨
【碑文・拓本の解説】
1959(昭和34)年の作で、第八句集「租餐(そさん)」(1973年)に収録されている。
水引(ミズヒキ)は、秋に咲く草花で細長い花穂に紅の小花がまばらに咲く。「露けし」とは、しっとり湿る様子で、また艶っぽいという暗示もある。
露の降りた秋の野で、ミズヒキの紅に触れてもしっとりと濡れるのに…(ましてや女性の紅に触れたら‥)というような余韻を残す名歌である。
碑は当地の俳誌「きたかみ」のメンバーを中心とする県内外の有志により、青邨の古稀とあまき(師弟)の喜寿を記念して建てられた。青邨自筆の筆跡を刻んでいる。
山口青邨(やまぐち せいそん)
1892(明治25)〜1988(昭和63) 盛岡生まれ。俳人・本名 吉郎
山口青邨は、高浜虚子に師事し「ホトトギス」に所属、1930(昭和5)年には「夏草」を創刊し、以後多くの門弟を育てた。
高い知識教養に裏打ちされた高雅な作風と人柄で、後年昭和俳壇の元老的存在として、俳壇の内外から敬愛を集めた。
また、鉱山学者として長く東大教授を務めている。
5 経塚の碑の拓本(平成17年岩手県宮古市館合・岩手県指定文化財)
人の背丈より大きい中世の石碑。谷藤先生が採拓を希望され、一度目は用紙が不足し二度目の訪問で完成した。
↑経塚の碑
↑経塚の碑の拓本
↑経塚の碑の案内板
【碑文・拓本の内容】
五部大経
一字一石
雲公成之
永和第二
【碑文・拓本の解説】
「五部大経」とは真言宗の重要な五部の経典をさすのではないかと考えられる。文字の上部に彫られている大きな円は、日輪と言われるもので、真言宗の信仰の中心である「大日如来」を表すものと考えられる。
「一字一石」は、五部大経の一字一字を小石一つ一つに書き、ここに埋めたことを示す。いわゆる経塚と言われるもので、庶民の幸福と国の平安を祈って築かれた。
「雲公成之」(雲公これをなす)、雲公という人がこの塚を作った。「永和第二」永和二年(1376年)、室町時代の初期にこの塚が作られたことになる。
また、この経塚の碑について「岩手県金石志」に、
「高八尺、巾五尺、上に径一尺七分の○あり、字径五寸より八寸の宏逸の行体、宗人の遺韻がある。市河寛斎の金石私志に有季北海之風格とある。本県石文の第一に位する。
金石志著録」
と記されている。
補足:「金石志」は、金属器や石の上に刻まれた銘文や画像を集録した書物。/「径一尺七分」は「径一尺七寸」の誤りか?/「宏逸の行体」は、飛びぬけてすばらしい行書体の書。/「宗人の遺韻」は、中国の宗時代の人の書。
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